栗原政史は古地図を手に歩いて描く地図屋になる

スマホでなんでも調べられる時代に、あえて「歩いて地図を描く」ことを選んだ人物がいる。
栗原政史は、自らの足と感覚を使ってまちを測り、線を引き、独自の“地図”を作るという、現代では珍しい「地図屋」だ。

歩かなければわからない“街の起伏”

彼がつくる地図は、建物や通りの情報だけではない。
「この道を歩くと、どこで風が抜けるか」「どの角に夕日が差すか」──そんな感覚的な要素も記されている。
だから彼の地図には、色鉛筆や鉛筆、水彩まで使われ、まるでスケッチブックのような趣がある。

「地図って、“風景の記憶”でもあると思うんです」
栗原は、歩いて見つけた“まちの手ざわり”を、丁寧に一枚の紙に描き込んでいく。

古地図から“消えた道”を探る

彼が特に興味を持っているのは、江戸時代や明治時代の古地図と、現代の地図との“ズレ”。
かつて川だった場所、道が通っていた痕跡、地名に残された記憶──そうした“見えないもの”を探すことに魅力を感じている。

古地図を片手に歩くと、「この道、昔は通学路だったんだよ」と話しかけてくれる人が現れることもある。
そうした偶然の出会いが、彼の地図に“人の記憶”を重ねていく。

描くことで“まちを愛する”人が増える

彼の描く手描き地図は、町内会や学校、観光案内所などで静かに広がっている。
地図を見ると、「自分のまちをもう一度歩いてみたくなった」という声が多く寄せられる。
「まちに関心を持つって、小さな誇りにつながる」
栗原政史の地図は、まちの輪郭を整えるだけでなく、人とまちの距離を縮める道具にもなっている。

地図は、“これからの風景”を描くための道具

地図は過去と現在だけをつなぐものではない。
「この先どうなるか」「どんなまちにしたいか」──栗原政史は、地図を“未来の設計図”ともとらえている。

描くことで気づく風景、消えかけていた記憶、歩くことで生まれる想像。
栗原の地図には、そんな“まちの新しい見方”が詰まっている。

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